私たちは「健康になるため」に、日々どれだけのコストを支払っているでしょうか。パーソナルジムの月額会費、プロテインパウダー、腸活のためのサプリメント。これらを続ければ、月に数万円の出費はすぐに積み上がります。
それに比べると、噛む回数を変えることには費用がかかりません。器具も要らず、続けるのに追加の支払いも発生しません。ただし「費用がゼロだから割がいい」と言うには、分子(得られるもの)の側の数字が要ります。この記事はそこを見積もる話で、結論から言えば、割の良さを主張できるだけの数字は出ていません。
分子の側で、実際に測られている数字
1. GLP-1
ダイエットクリニックで処方されるGLP-1受容体作動薬は高価で、副作用のリスクもあります。噛むことでもGLP-1は上がりますが、この二つを同列に置くことはできません。 薬は体内のGLP-1濃度を薬理量まで持ち上げるもので、E17・E19 が測った咀嚼による上昇は生理的な範囲です。同じ試験で血糖値もインスリンも変化しておらず、体重を測った試験はありません。噛むことが薬の代わりになるという意味ではありません。
薬代が浮く、という計算はここからは立ちません。「噛むことでGLP-1が上がったので、その分の薬が不要になった」という比較をした研究を、このサイトは引用できていません。
2. DIT(食事誘発性体熱産生)
E03 は、健常若年男性11名に液状の食事を摂らせ、90分間のエネルギー消費を測っています。値は 3.4 → 5.6 → 7.4 kcal で、噛んだ条件と対照の差はおよそ4kcalです。
この記事は以前、この差を「1食あたり数十キロカロリー」とし、1年続ければ脂肪数キログラム分に相当すると書いていました。それは元の数字から離れすぎています。 4kcalを1日3食×365日に掛けても約4,400kcalで、脂肪に換算すればおよそ0.6kg分です。しかも、
- E03が測ったのは90分間で、1日の総消費量ではありません。
- 液状の食事を使った試験で、通常の食事に同じ差が出るかは測られていません。
- 11名の単回測定で、1年続けたときに同じ差が出続けるかは分かりません。
掛け算をした時点で、それは測定値ではなく推測です。 ここでは推測をやめておきます。
国レベルの試算について
もし政策として、コンビニやスーパーで売られるパンや弁当の硬さを少し上げ、「今よりあと10回だけ多く噛まざるを得ない食環境」を作れたらどうなるか。これは検討する価値のある問いだと思いますが、答えを出せる材料がありません。
この記事は以前、この節に疫学モデルとして E06 を挙げていました。E06は嚥下・消化器系の系統的レビューで、医療費の試算はしていません。また「満腹中枢の正常化による総カロリー摂取量の低下」「脳血流の増加による認知症発症リスクの遅延」を効果として並べていましたが、どちらも根拠にできる研究を引用できていません。
食事のスピードが落ちること自体は起こるはずです。ただし、噛む回数を指定した試験(E17・E19)では血糖値もインスリンも変化していません。
この記事で言えること
噛む回数を変えるのに費用はかからない。これは確かです。他の健康法と比べて割がいいかどうかは、比較した研究がないので言えません。 費用対効果を語るなら分母(費用)だけでなく分子(効果)の数字が要り、いまのところ分子はDITの約4kcalと、血糖もインスリンも動かなかったGLP-1の上昇です。それを「ジム代が浮く」と言い換えるには、まだ距離があります。
正しい咀嚼を、もっと楽しく。
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